宮城県/50代後半男性 bk2007さん

25年のサラリーマン生活

私は22歳で早大を卒業して、東証一部に上場する世間で言われる大企業Aに就職しました。宝石や寝具、高級バックを販売する事業部で頭角を現し、この事業部に同期入社した40名の中で一番に店長となり、県内5店舗を統括する部長まで上り詰めました。勤続25年順風満帆のサラリーマン人生でした。しかし、統括する店のある店長が部下の販売員とダブル不倫、おまけに1200万円に上る架空売り上げが発覚、当人が解雇されたのは勿論、私は店長に降格、結局47歳にして自主退職しました。

退職後在職中のお取引先様との人脈を生かし商品を委託して、自分で商売を始めました。簡単にいうと問屋から宝石やバックを借りて、お客様に販売していました。私はお客様に恵まれ食べて行くぐらいは売れました。しかしお客様を一回りすると、お客様も良い顔をしなくなりました。何時も同じお客様に売りに行くので、お客様も買うものも無くなり、お金も無くなりました。お客様も私とA社の双方から売り込まれるので大変なのです。そのうちA社の人と辞めた人もお断りというお客様が増えて行く先が激減しました。

週末ごとのパチンコ三昧

私の楽しみはパチンコです。A社の店長、部長時代からちょこちょこやっていました。20代、30代の頃は休みも取らず働いて実績を上げていましたが、時代の波で休日に働くことを会社側から禁止される、休日は安めと言明される時代となり無理にでも休ませられます。何もすることが無い休日を急に与えられて、私は学生の頃少しやったパチンコをするようになりました。数字に追われる毎日の中でパチンコはストレス解消にもなり、面白くなって土日は毎週行きました。

未だ独身で40過ぎた頃からは年収1200万円ほどありましたから、3割360万円が税金・社会保障、1割120万円を貯金、300万円を生活費とするとそれでも420万円ほど余裕のある計算になります。当時の家計簿をみると毎月25万円ぐらいずつ負けました。5万円持ち込んで10万円勝つと言うのが1回のパチンコの目標でした。年間300万円負けても生活には全然余裕がありました。

仲が良かったのが後輩の店長、あの不倫・架空売り上げの店長です。よくつるんでパチンコに行っていました。しかし彼の年収は500万円ほど、しかもあとでわかりましたが週末だけでなく、しょっちゅう仕事も手抜いて平日もパチンコに行っていたのです。不倫もしてたし、金は幾らあっても足りなかったでしょう。そのばかと毎週笑ってパチンコを打っていたのです。

毎日のパチンコ三昧

50歳も見えてきた今、お客様にはもう来ないでと言われ、A社からは顧客に売るなと抗議を受け私は行くところも無くすることも無くなりました。毎日仕事に家は出るものの、ついそのままパチンコ店へ。牙狼・北斗の拳・花の慶次、爆裂連チャン機、MAX機が好きです。しかしMAX機であればなかなか当たらず、MAX機のくせに連ちゃんせず、つぎ込んで台を離れればカマを掘られ、追いかければ全く出ない、たまに10万円勝つことはあってもみるみる負けが込んで、貯金がレンゲでチャーハンを食べるように、ざくざくと減ってとうとう無くなりました!

しかしパチンコする金だけはどこかから出てくるのです。小中学生の時集めた切手を売り、仕事柄自分でも持っていた金やプラチナのネックレスや、カフスボタン、ブレスレッドを金を作りました。まずガロを打って5万円負ける、次にケンシロウで4万円負け、最後に慶次で1万円負ける。トリプルびんたの毎日。今や一日10万円負けるのが当たり前。凄いやばい状態です。