静岡県/40代後半男性 sea47さん

私は45歳の自営業者で、最近のパチスロ遊技時間は週に1回するかしないか程度です。年々、遊技業界を取り巻く環境は厳しさを増しているように感じます。それは店舗側も顧客側もともに厳しいんだと思います。最盛期に比べれば、店舗数も顧客数も売り上げも全て落ち込んでいると思います。

パチンコやパチスロで、最近の台はやはりお金のかかる台ばかりで、勝ち辛いという印象が強いです。そんな中での低貸し遊技の登場だと思います。1円パチンコや5円スロットのコーナーは、どのお店も盛況です。一時のギャンブル性が高かった時代、もはや遊技と呼ぶには無理があったようにも思います。

しかし、その時の面白さはやはり忘れられないのも事実です。25年ほど前に液晶の連チャン機のパチンコが登場しました。麻雀物語という平和さんが発売した機械です。当時私はパチンコ好きが乗じてパチンコ屋さんに就職したくらいです。その頃のデジパチは、確率も220分の1位でしたので、そこそこの金額で楽しめた記憶があります。

そしてパチスロも、クレジット連チャン機が登場し始めていました。またパチスロでは、モーニングと呼ばれるサービスを多くのお店でやっていました。朝一のお客さんを確保するためのお店側の工夫だったお思います。この頃から、娯楽というよりもギャンブルというイメージが強まった気がします。過激な連チャンを追い求めて、当時私も毎日のようにパチンコ屋に行っていました。

普通の給料しか貰っていませんでしたが、勝ったり負けたりで借金をする迄には至りませんでした。けど当時は、金銭トラブルが報道されたりしており、世間的イメージは悪くなったと思います。その頃の自分が狂ったように打ちこんでいた機種が幾つかあります。パチスロでは、3号機のミスターマジック(サミー)やグレートハンター(エーアイ)です。

特にグレートハンターは過激な連チャン機で、1撃万枚ということもありました。3号機までのパチスロは、ビッグボーナス終了後には店員を呼んでリセットをしてもらうという形式でした。今では考えられないでしょうが、当時は店員待ちというのが当たり前でした。その頃、働いていたお店でもパチスロコーナーは結構な忙しさがありました。

4号機になってからはオートリセットになったので、パチスロコーナーは少し楽になったのを思い出します。4号機になってからは、ものすごい枚数を獲得できる機種が増えました。何といっても爆裂AT機の登場で、ますますギャンブル性が高まりました。ミリオンゴッドを筆頭に、コンチ4XやアラジンAなどが5万枚出たとか言う話をよく耳にしました。

パチスロで100万円勝てるという何とも言えない時代でした。そういう時は長くは続かないもので、規制が強まることになって、出玉性能は抑えられることになります。結果、最近の人気が落ちてきたという状況になっているんだと思います。しかしそれでも、その時その時に面白い機種は出てくると思います。そういう機種を期待して待って、これからもパチスロを適当に趣味打ちしていこうかと思います。